中国商業秘密民事保護の実務問題―上海交通大学教授 孔祥俊 氏―
孔祥俊先生は、上海交通大学教授(チェアプロフェッサー)、知的財産と競争法研究院院長、博士課程指導教員を務めています。第5回全国傑出青年法学者トップテン(中国法学会)、「文化名家」(中央宣伝部)、3回も「知的財産分野で最も影響力のある50人物」(Managing IP誌)に選定、「2011年第3回中国傑出人文社会科学者」(Cuaa.Net)、「2018年度中国における知的財産権分野で影響力のある人物」(china IP Magazine)数々の表彰を受けました。上海市法学会副会長、中国市場監督管理学会副会長を兼務しています。著書は30部も超え、100以上の学術論文を発表しました。
上海交通大学凱原法学院 孔祥俊 教授
一、中国営業秘密保護の法律と司法解釈の概要
「中華人民共和国不正競争防止法」(以下「不正競争防止法」という)は、中国の営業秘密保護の基本制度を提供し、これを踏まえて最高人民法院は営業秘密民事司法解釈を制定した。また、中国「刑法」の営業秘密侵害罪に関する規定及び最高人民法院、最高人民検察院が制定した営業秘密の刑事司法解釈も、「不正競争防止法」の規定を制度の基礎としている。
(一)「不正競争防止法」の基本的な規定
「不正競争防止法」は、営業秘密の構成要件、営業秘密侵害行為の類型及び営業秘密侵害の立証責任を規定している。
「不正競争防止法」第9条では、営業秘密の構成要件とは、公知ではなく、商業的価値を有し、かつ権利者が相応の秘密保持措置を講じている技術情報、経営情報などの商業情報であると規定している。
営業秘密を侵害する行為は次のいくつかの類型がある。(1)窃盗、賄賂、詐欺、脅迫、電子的侵入またはその他の不正手段をもって権利者の営業秘密を取得すること、(2)前号の手段により取得した権利者の営業秘密を開示し、使用するか、他人の使用を許可すること、(3)秘密保持義務または権利者の営業秘密保持に関する要求に違反して、その把握している営業秘密を第三者に開示し、使用しまたは第三者に使用を許諾すること、(4)秘密保持義務または権利者の営業秘密保持に関する要求に違反するように他人を唆したり、誘導したり、幇助したりし、権利者の営業秘密を取得したり、第三者に開示したり、使用したりして、または第三者に使用を許諾すること。
また、同法により、営業秘密の権利者の従業員、元従業員またはその他の企業・組織、個人が本条1項所定の違法行為を行ったことを明らかに知るか、知るべきである場合において、なお他人の営業秘密を取得したり、開示したり、使用したりするか、他人にその使用を許可したときは、営業秘密を侵害したものとみなす、とも規定されている。
2020年「最高人民法院の営業秘密侵害民事事件の審理における法律適用の若干問題に関する規定」(2020年9月12日より施行)の第14条は、「自主研究開発又はリバースエンジニアリングを通じて侵害被疑情報を獲得した場合、人民法院は、「不正競争防止法」第9条に定める営業秘密侵害行為に該当しないと認定する。リバースエンジニアリングとは、技術手段を通じて公開ルートから取得した製品を分解、測定・製図、分析等をして、当該製品の関連技術情報を取得することをいう。被疑侵害者が不正な手段を通じて権利者の営業秘密を取得した後に、リバースエンジニアリングを理由に営業秘密を侵害しておらずと主張する場合、人民法院はこれを認めない。」と規定している。
(二)営業秘密の民事司法解釈に関する規定
「最高人民法院の営業秘密侵害民事事件の審理における法律適用の若干問題に関する規定」は、営業秘密として保護される対象、営業秘密の構成要件、秘密保持義務、権利侵害認定規則、民事責任、民事案件と刑事案件が互いに関連する場合の対応、立証責任、及び関連手続を規定している。それらの規定は、実定的な規定と手続的な規定の両方を含んでいる。特に、営業秘密が他の知的財産権と異なり、権利境界が公示されていないため、その権利の性質、権利侵害の認定、法的責任、訴訟手続等において独自の特徴を有している。当該司法解釈には、営業秘密侵害事件の特徴に基づき、裁判実務上際立った問題に焦点を当て、営業秘密の構成要件、民事案件と刑事案件が互いに関連する場合の対応、訴訟手続中の営業秘密の保護、従業員・元従業員に関連する法律の適用、営業秘密の特定等の問題についてより具体的な規定を設けた。
二、営業秘密における秘密ポイントの特定
営業秘密保護の法律実務上よく使用される営業秘密の秘密ポイントの概念とは、営業秘密を構成する具体的な情報の内容と範囲を指す。中国知的財産権研究会が公表した「営業秘密鑑定規範」という団体基準によれば、 「秘密ポイントとは権利者が主張する営業秘密情報の具体的な内容である。秘密ポイントに関する説明とは、秘密ポイントを記述し、説明する文書である。」と指摘している。
営業秘密が権利者による秘密保持措置により保有、存在していて、関連する公衆に知られていない。そのため、営業秘密侵害訴訟においては、権利者が主張する営業秘密の範囲(すなわち秘密ポイント)を特定する必要がある。秘密ポイントの特定は、しばしば技術秘密に関する訴訟事件の難点となる。
営業秘密の秘密ポイントが特定されて初めて、営業秘密が法定の要件に合致するかどうかを立証、判断できる。最高人民法院が発表した指導意見(法発(2011)18号)は、「法定の要件に合致する営業秘密に基づき、その営業秘密の保護範囲を正確に画定する。個々の単独な営業秘密の情報単位は、それぞれ独立した保護される対象を構成する。」と指摘している。
(一)「バニリン(香蘭素)」技術秘密侵害事件
「バニリン(香蘭素)事件」(嘉興市中華化工有限責任公司、上海欣晨新技術有限公司の技術秘密侵害事件、最高人民法院(2020)最高法知民終1667号民事判決書)の二審判決書によれば、「秘密ポイントの特定と立証については、まず権利者が主張する秘密ポイントを説明し、その際に必ずしも証拠を提供しなければならないわけではなく、重要なのが秘密ポイントの主な内容及びその分野の一般的な情報・一般的な技能との区別を説明することであると指摘している。つまり、権利者が合理的な説明をすれば、通常、営業秘密ポイントが基本的に特定できると初歩的に考えられる、次に被疑侵害者がその秘密ポイントが成立しないことを立証する。もし被疑侵害者がその秘密ポイントが成立しないことを立証できない場合、その秘密ポイントが特定される。
「バニリン(香蘭素)事件」の二審判決書には、人民法院が次のように述べた。
①秘密ポイントの内容が具体的かつ明確でなければならない。当該案件において、権利者が主張する技術秘密には、6つの秘密ポイントが含まれている。1.縮合設備の関連図面。2.酸化装置の関連図面、3.仕掛品バニリン分離工程と設備(一審の法廷期日において、権利者が当該秘密ポイントの中の工程に関する部分について権利主張を明確に放棄した。)、4.蒸留装置の関連図面、5. グアイアコール回収工程と関連設備(一審の法廷期日において、権利者が当該秘密ポイントの中の工程に関する部分について権利主張を明確に放棄した。)、6.バニリン合成工場の工程フローチャート(工程に関するパイプとメーターのフローチャートを含む。)。また、権利者は次の媒体を通じて技術秘密の具体的な内容を示した:58台の基準外設備に関わる設備図面(設備全体図面とその部品図面を含む。)延べ287枚、工程に関するパイプとメーターのフローチャート(第3版)延べ25枚(以下、合わせて「係争技術秘密」という。)。設備図面上の技術的な内容として、設備と部品の寸法、大きさ、形状、構造、部品の位置関係と接続関係、設備の出入口の位置・寸法、設備の型番、攪拌器の型番と消費電力、設備・部品・接続部品の素材、耐圧性・耐食性・耐高温性・耐低温性等の技術情報を含む。
②秘密ポイントの範囲の画定が適切でなければならない。もし秘密ポイントの範囲が広すぎると、公知の情報も含まれている可能性があり、秘密性に該当されるかの疑問が出る。一方、秘密ポイントの範囲が狭すぎると、被疑侵害者が使用する技術と異なる可能性があり、同一性を有しないのではないかとされる。当該案件の二審判決書によれば、一審の期日審理において、権利者が設備図面上の秘密情報の範囲が直接記載されている技術情報に限定し、関わる工程等その他の技術情報を含まないと確認した。製造工程のパイプとメーターのフロー図の技術内容として、各設備間の位置関係と接続関係、材料と媒体の接続関係、制御点の位置、制御内容と制御方法、表記された反応条件、上述の接続関係に基づいた材料・媒体の流れ、制御パラメータ等の技術情報が含まれる。当該案件においては、権利者が秘密ポイントの範囲を適切に特定したことは、その後の営業秘密の認定、被疑侵害者の権利侵害行為の認定につながった。
(二) 北京半導体専用設備研究所(以下「四十五所」と略称する。)の技術秘密侵害事件
2022年12月、最高人民法院知的財産権法廷は、北京半導体専用設備研究所と顧海洋等との技術秘密侵害紛争案件について、(2021)最高法知民終2526号の二審裁定書を出し、一審の裁定書(原告が技術秘密の秘密ポイントを特定することができず、提訴の法定条件を満足しないことを理由に、原告の提訴を却下したと一審法院が裁定した。)を取消し、第一審法院による審理を再開するよう命じた。
最高人民法院は、本件第二審の争点は、四十五所が主張する技術秘密の内容が明確であるか否か、および原審裁判所が本件を審理すべきか否かであると判断した。
四十五所は、その技術秘密というのは提出した図面に記録される全ての技術情報と主張した。本件の二審手続において、四十五所は、その技術秘密の範囲が、前記の23枚の図面に記載される技術情報と3通のソフトウェアドキュメント及び特定した欠陥であることと、さらに明確にした。顧氏、古氏、衆硅公司は、四十五所が主張する技術秘密の内容が不明確であると主張し続けている。最高人民法院は、その争点について次のように述べた。技術秘密情報の一部が公知となっている場合でも、当該技術情報の組合せが全体として法的要件を満足する限り、技術秘密として保護すべきである。現実において、すべての情報に出所があり、技術秘密の媒体である図面に記載される技術情報がすべて情報所有者の独創であることまで求めることは不当である。図面上の技術情報の一部が公知であっても、情報所有者が公知技術を整理し、改善し、加工し、組合せ、編集し、そして他人が一定の努力なしに容易に取得できない新しい情報が生まれた場合、秘密保持措置を講じた当該新しい情報も技術秘密として法律に保護される。「不正競争防止法」第32条によれば、営業秘密の権利者は、秘密ポイントの特定に関する初歩的な立証をした後、関わる技術情報の秘密性、侵害行為の有無等に関する立証責任が被疑侵害者に転換される。したがって、営業秘密の権利者がその技術秘密と公知情報の区別について、厳密に立証することを要求ことが妥当ではない。権利者が技術情報の秘密性を証明する初歩的な証拠を提供し、又はその技術秘密が公知ではないことについて合理的な解釈・説明をした場合、秘密性の成立を初歩的に認定することができる。
権利者が初歩的な立証をした後、被疑侵害者が当該技術秘密が公知情報であることの立証責任を負うことになる。被疑侵害者は、権利者が主張する技術秘密から公知情報を除外することを主張できる。上記のように、当事者間の訴訟における対抗を経て、係争の技術秘密情報の認定を実現する。権利者は、図面に記載された技術情報が技術秘密と主張する場合、図面に記載された技術情報の全体が技術秘密であると主張することも、図面に記載された一つ又はいいくつかの技術情報が技術秘密であると主張することもできる。図面は、技術秘密の媒体であり、図面によりその技術秘密の内容と範囲を特定できるため、本件では四十五所が主張する技術秘密の内容が明確であり、具体的な訴訟請求を有する。よって、原審裁判所が、引き続き、その技術情報に秘密性、価値性、秘密保持措置を講じたことの有無を審査し、さらに相手方が不正な手段を通じてその技術情報を取得、開示、使用したかどうかを審査すべきである。
原審の裁定書は、四十五所が主張する技術秘密の内容が特定できず、その保護範囲も確定できず、四十五所が主張する技術情報が技術秘密に該当するかについて審理できないことを理由に、提訴を棄却すると裁定したことは、法律の適用に間違いがあった。よって、原審の人民法院は、四十五所の主張に基づき、本案の審理を継続すべきである。
三、営業秘密の立証責任
「不正競争防止法」第32条によれば、「営業秘密侵害に関わる民事裁判に、営業秘密の権利者が初歩的な証拠を提示して主張する営業秘密に対し、既に秘密保持措置を講じて、且つ営業秘密が侵害されたことを合理的に表明した場合、被疑侵害者より権利者が主張する営業秘密は本法にいう営業秘密でないと証明しなければならない。営業秘密の権利者が初歩的な証拠を提示して営業秘密が侵害されたことを合理的に表明し、且つ以下に挙げた証拠の一つを提供した場合、被疑侵害者より営業秘密侵害行為を有しないことを証明しなければならない。(1)被疑侵害者が営業秘密を獲得するルート又はチャンスを有し、且つ使用される情報と当該営業秘密は実質上同一なものであることを表明できる証拠。(2)営業秘密が被疑侵害者より既に開示、使用された又は開示、使用されるリスクがあることを表明できる証拠。(3)他に営業秘密が被疑侵害者に侵害された証拠。」と定めている。上記の規定から、中国の法律が立証責任の転換制度と一部の立証責任を被告側に分配する制度を採用していることが分かる。
(一)第32条1項について
第32条1項は、権利者の立証責任について、「営業秘密侵害に関わる民事裁判に、営業秘密の権利者が初歩的な証拠を提示して主張する営業秘密に対し、既に秘密保持措置を講じて、且つ営業秘密が侵害されたことを合理的に表明すること」と規定している。権利者が立証をした後、「被疑侵害者より権利者が主張する営業秘密は本法にいう営業秘密でないと証明しなければならない」。上記の規定により、営業秘密に該当するかの立証責任は、被疑侵害者に転換される。
権利者の立証責任は、初歩的な証拠を提供して「それが主張する営業秘密に対して秘密保持措置を講じた」ことを証明するとともに、「営業秘密が侵害されたことを合理的に表明すること」である。すなわち、営業秘密が侵害されたことについて初歩的な証拠で証明するまで必要はなく、それを合理的に説明したり、表明したりしさえすればよい。
改正後の「不正競争防止法」が2019年に施行された後、第32条を解釈して適用する裁判例がまだ少ない。2019年改正の「不正競争防止法」と2007年の「不正競争防止司法解釈」を同時に適用される、化学品「カルボマー」製造技術秘密侵害事件の一審判決書においては、第32条が2007年の「不正競争防止司法解釈」の立証規定と比べて、3つの変化があると述べた。①第32条は、営業秘密の3つの要件について権利者が立証責任を負うとするが、個別に立証するまで要求しておらず、権利者が一括して立証できる。②第32条は、権利者の立証が十分に証明できるまで要求しておらず、初歩的な証拠、合理的な表明さえあればよいとしている。③第32条は、立証義務の転換を規定している。権利者が初歩的な証拠と合理的な表明を提出した場合、立証責任が被疑侵害者に転換される。第32条1項は、技術秘密の3つ要件に関する権利者の立証のハードルを明らかに引き下げた 。上記の論点について、二審判決書は特にコメントしなかった。
当該一審判決書は、第32条1項は、権利者が営業秘密の3つの要件につき立証責任を負うとするが、要件ごとに立証しなければならないということまで要求しておらず、3つの要件について一括して立証することができる、と解釈している。この解釈は明らかに第32条1項の法律条項の文言との乖離があると思われる。第32条1項の文言は、権利者に「秘密保持措置を講じて、且つ営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」ことを要求しているが、ここの秘密保持措置が営業秘密の構成要件の一つに過ぎず、営業秘密が侵害されたこと自身が営業秘密の構成要件ではない。
文言に沿う解釈としては、第32条1項が権利者に対し、その営業秘密が法的要件に適合していることについて要件ごとに立証することを要求しておらず、「秘密保持措置を講じて、且つ営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」ことにより、その営業秘密が「不正競争防止法」に規定された営業秘密に該当しないことに関する立証責任を被疑侵害者に転換する。つまり、「秘密保持措置を講じた」という要件以外の営業秘密の構成要件の立証責任を被疑侵害者に転換するということが考えられる。具体的には、被疑侵害者が権利者の営業秘密自身が存在しないこと、秘密性がないこと、秘密保持措置の程度が不十分であることを立証する。上記の解釈は、第32条1項の文言に合致し、また、実務においては、このようなほとんどの立証責任を被疑侵害者に転換するのが妥当なケースが存在している。
さらに検討すると、「初歩的な証拠を提示する」ということが明確であるが、「営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」ことについて、必ずしもその意味が明確ではない。解釈としては、①権利者は、その営業秘密がどのような営業上の情報であるかを適切に述べ、被疑侵害者に権利者がどのような営業上の情報について権利を主張しているかを認識させなければならない。そして、被疑侵害者がそれらの情報について、「権利者が主張する営業秘密が不正競争防止法に定めた営業秘密ではない」ことを証明するために、法定の営業秘密の内容ではないこと、秘密性がないこと、価値性がないこと、又は十分な秘密保持措置をしていないことについて、初めて反対証拠を提出できる。実務上、一部の人民法院は、営業秘密侵害民事紛争事件につき、段階的に審理するというアプローチが適用できると考えている。つまり、原告がその営業秘密の内容を特定した後、第一段階として、当該情報について原告の権利の有無、当該情報が営業秘密の構成要件を有しているか、そして被告の関わる抗弁の理由を、審理し認定する。原告がそれを保有する情報が営業秘密であることについて立証責任を負う 。②「(権利者が)営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」という文言の中の「合理的に表明」とは、初歩的な証拠と関係事実をもって、営業秘密が侵害された可能性が比較的に大きいと表明できることを意味しているだろう 。前述のヒューレット・パッカード社の自動運転技術の紛争事例が示したように、被疑侵害者が営業秘密に接触し取得する条件があること、営業秘密を侵害せずに短期間で関係製品を製造する可能性が低いことなどを表明する。被疑侵害行為が発生した可能性が比較的に高いという客観的な状況を「合理的に表明」した後、立証責任の転換に合理性があると初めて言える。
(二)第32条2項について
第32条2項によれば、「営業秘密の権利者が初歩的な証拠を提示して営業秘密が侵害されたことを合理的に表明し、且つ以下に挙げた証拠の一つを提供した場合、被疑侵害者より営業秘密侵害行為を有しないことを証明しなければならない。」当該条項には2つの基本的な意味を有している。①権利者の立証責任と証明の程度を明確にした。つまり、権利者は営業秘密が侵害された事実についての立証責任を依然として負うが、初歩的な証拠を提供し、「合理的に表明」すればよい。②立証責任の転換を明確にした。つまり、権利者が初歩的な証明を提供し、合理的に表明した場合、被疑侵害者が営業秘密侵害行為をしていないことを証明することになる。即ち、その場合、権利者が負う立証責任を被疑侵害者に転換することになる。
「不正競争防止法」第9条1項に規定される営業秘密侵害行為には、不正取得行為及び不正開示・使用行為が含まれる。第32条2項に3つの情状が挙げられている。第32条2項1号は、不正取得行為に関するもので、従来の「接触+類似」という推定ルールを採用している。第32条2項1号の「被疑侵害者が営業秘密を獲得するルート又はチャンスを有することを表明できる証拠がある」という状況が第32条2項の柱書で言及された「初歩的な証拠を提示して営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」の最も一般的な状況である。第32条2項2号は、不正な開示・使用行為関するものである。同法は、営業秘密が開示・使用されまたは被疑侵害者による開示・使用のおそれがあることを証明すれば足りるとしている。つまり、開示・使用行為が実際に発生したとの立証を開示・使用されるおそれがあるとの立証まで、ハードルを引き下げた。
もちろん、法律の条文が各状況を抽象化し明確な類型化を目指すが、具体的な事実認定の場合、様々な事案を総合的に考慮することが多い。例えば、徐氏、会凱公司と三楽公司の営業秘密侵害事件で、最高人民法院の再審申請を却下した民事裁定書((2019)最高法民申2794号民事裁定書)は、次のように述べた。徐氏が退職する前に会凱公司を設立し、三楽公司と同様な事業を経営している。2014年12月31日に徐氏が退職した後、たったの半年間で営業秘密に関わる関連会社との取引を成し遂げた。会凱公司は短期間で顧客関係を確立したことは、三楽公司の営業秘密を利用した可能性が高いと考えられ、徐氏及び会凱公司が営業秘密を使用していないことを証明するために提出した証拠が証人の証言のみであり、かつその証人が法廷に出席しておらずその証明力が弱い。よって、証拠の優越の原則に基づき、二審判決が徐氏・会凱公司と関連会社との取引行為が三楽公司の営業秘密への侵害行為に該当すると認定したことは妥当である。上記事案のように、具体的な案件における法律の適用が類型化した条文よりはるかに複雑である。将来は、第32条について柔軟に運用される余地があると思われる。
(三) 初歩的な証拠及びその証明基準に関する解釈
第32条の「初歩的な証拠の提供」の規定は、権利者の立証責任を軽減し、証明基準を引き下げるものであるが、問題は「初歩的な証拠を提供し、営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」をどのように理解するかである。「初歩的な証拠」との規定が法令に現れるケースが少ないが、司法解釈及び司法実務では決して見慣れないものではない。初歩的な証明が、証拠法上、米国法の「事実推定則」、ドイツ法の「表見証明」、そして日本法の「一応の推定」とほぼ同等であり、具体的には民事訴訟の証明基準に基づき確定する必要がある、と考える学者がいる。
中国の「民事訴訟法」は証明基準を規定していないが、司法解釈では通常の証明基準を「高度な可能性」とし、同時に特別な場合それより高いまたは低いその他の証明基準の適用や、法律が規定する証明基準を優先するということを規定している。例えば、「合理的な疑いを排除する」という証明基準が「高度な可能性」という基準の以上であり、「初歩的な証拠で証明する」という証明基準が「高度な可能性」という基準の以下である。かつて民事訴訟で「証拠の優越」という証明基準を運用していたこともある。「証拠の優越」という証明基準とは、一般的に、片方の当事者が提出した証拠の証明力が相手方の証拠より優越で、50%以上の優越の可能性に達していると意味する。「高度な可能性」という証明基準(大陸国家の法律上の「高度な蓋然性」にほぼ相当する。)は、大陸法の証明基準の一種であり、「証拠の優越」という証明基準は英米法の証明基準の一種である。文字の意味から見れば「高度な可能性」という証明基準が「証拠の優越」という証明基準より、ハードルが高いように見えるが、しかし、どれぐらい高いかを定量化するのが難しく、どれくらいの可能性に達したら「高度な可能性」と言えるかは、規定する必要がある。第32条の「初歩的な証拠を提供」することは、「初歩的な証拠で証明する」という証明基準を適用すると意味しており、その証明基準が「高度な可能性」より大きく下回り、強いては一般的に理解されている「証拠の優越」という証明基準よりも弱いと言えよう。中米両国間の「経済貿易協定」では「初歩的な証拠」の用語があり、その用語の英文対訳が「prima facie evidence」であり、いわゆる表面的な証拠、ある事実の外観を証明する証拠を指す。筆者の司法実務経験によれば、「初歩的な証拠で証明する」という証明基準が最低限の証明基準であり、30%以上の可能性が証明できればその証明基準が満足されると考えられる。
上記をまとめると、第32条に規定された「初歩的な証拠」の証明程度が比較的に低く、証拠の優越という証明基準を下回ることができる。同時に、法律は、「営業秘密が侵害されたことを合理的に表明する」初歩的な証拠を求めている。「合理的に表明する」こととは、ある程度の可能性であり、証拠の優越の基準(例えば、50%を超える可能性)までの可能性を求めない。第32条は、初歩的な証明と合理的に表明するという前提条件を設けることを通じて、立証責任の転換を実現した。当然、その目的は、権利者の立証責任を軽減することである。つまり、これらの前提条件を満たした後、被疑侵害者が高い蓋然性を有する十分な反証を提供しない又は提供できない場合、権利者の主張が認められる効果がある。これ自体も、前提条件を満たした上での事実推定と言える。
四、営業秘密侵害の賠償責任
(一)損害賠償
「不正競争防止法」第17条によれば、不正競争行為により損害を受けた事業者の賠償額は、当該権利侵害により受けた実際の損失に応じて確定する。実際の損失を計算することが困難な場合には、権利侵害者が権利侵害により獲得した利益に応じて確定する。事業者が悪意で営業秘密を侵害する行為を実施し、情状が深刻な場合、上述の方法で確定した金額の1倍以上5倍以下で賠償額を確定することができる。賠償額には事業者が権利侵害行為を制止するために支払った合理的な支出も含まなければならない。事業者が、同法第8条、第9条の規定に違反し、権利者が権利侵害により受けた実際の損失、権利侵害者が権利侵害により獲得した利益を確定することが困難な場合には、人民法院が権利侵害行為の情状に基づき500万元以下の賠償を権利者に与える判決を下す。
商業秘密民事司法解釈によれば、(1)権利侵害行為により営業秘密が公開された場合、人民法院は法により賠償額を確定するとき、営業秘密の商業的価値を考慮することができる。商業的価値の認定に当たっては、研究開発コスト、当該営業秘密の実施による収益、取得可能な利益、競争優位性を維持可能な期間等の要因を考慮しなければならない。(2)権利者が営業秘密使用許諾料を参照して権利侵害により受けた実際の損害の確定を請求する場合、人民法院は、許諾の性質、内容、実際の履行状況、及び権利侵害行為の性質、情状、不利な結果等の要因に基づいて確定することができる。(3)人民法院が不正競争防止法第17条第4項に基づいて賠償額(定額賠償)を確定する場合、営業秘密の性質、商業的価値、研究開発コスト、イノベーションの程度、もたらし得る競争優位性及び権利侵害者の主観的な過失、権利侵害行為の性質、情状、結果等の要因を考慮することができる。
(二)懲罰的な賠償に関する法制度
2019年に改正された「不正競争防止法」第17条第3項に懲罰的な賠償に関する規定を追加された。事業者が悪意をもって営業秘密を侵害する行為を実施し、情状が深刻な場合、権利者が侵害によって受けた損害または侵害者の侵害所得額の1倍以上5倍以下で賠償額を確定することができる。賠償額には、事業者が権利侵害行為を差止るために支払った合理的な支出も含まなければならない。
裁判事例としては、広州天賜(テンツー)公司と安徽ニューマン公司らとの技術秘密侵害紛争案件((2019)最高法知民終字562号民事判決書)において、天賜公司はニューマン公司らがその化学品「カルボマー」製造工程の技術秘密を侵害したと主張し、広州知的財産権法院に対して訴訟を提起し、権利侵害行為の差止と損害賠償を請求した。広州知的財産権法院は、被疑権利侵害行為が係争の技術秘密への侵害を構成したと認定し、侵害の故意及び侵害の情状を考慮して、権利侵害により得た利益の2.5倍に相当する金額の懲罰的な賠償を命じた。原告と被告側がともに一審の判決に不服して最高人民法院に対して上訴した。最高人民法院は、二審判決書において、被疑権利侵害行為が係争の技術秘密への侵害を構成したとするが、一審判決が賠償金額を算定する際にかかわる技術秘密の利益に対する貢献度を十分に考慮していないと判断し、かつ一審判決が懲罰的な賠償を確定する際に権利侵害者の主観的な悪意の程度、権利侵害を業とする事実、権利侵害規模の大きさ、継続時間の長さ、証拠提出妨害行為の存在等の重大な情状を十分に考慮できていないことを指摘し、最終的に権利侵害行為の差止を維持しなから、法定の上限である5倍の基準で懲罰的な賠償を命じた。当該事件は、最高人民法院が判決した知的財産権侵害案件について懲罰的な賠償を認められた初めての事例である。法定の上限である5倍の基準で懲罰的な賠償を確定する際に、権利侵害者の主観的な悪意の程度、権利侵害を業とする事実、権利侵害規模の大きさ、継続時間の長さ、証拠提出妨害行為の存在等の重大な情状を最高人民法院が十分に考慮したということは、実務上の意味がある。
五、営業秘密侵害案件の民事訴訟管轄
「民事訴訟法」第29条によれば、「権利侵害行為について提起された訴訟は、権利侵害行為の実施地又は被告の住所地の人民法院が管轄する。」と定めている。
「最高人民法院による民事訴訟法の適用に関する解釈』第24条によれば、「民事訴訟法」第29条に定める権利侵害行為地には、権利侵害行為の実施地、権利侵害結果の発生地を含む」と規定し、同解釈の第25条は、「情報ネットワークによる権利侵害行為の実施地には、被疑権利侵害行為を実施したコンピュータ等の情報設備の所在地を含み、権利侵害結果の発生地には、権利者の住所地を含む」と規定している。
最高人民法院は、2009年に、最高人民法院官報に掲載された四維実業(深セン)有限公司等とエイブリィ・デニソンとの営業秘密侵害案件の管轄異議に関する裁定書((2007)民三終字第10号民事裁定書)において、「不正競争防止法」第10条の規定により、営業秘密を侵害して製造した侵害製品の販売行為は、同法の営業秘密侵害行為に該当しないため、本件における営業秘密を侵害して製造した侵害製品の販売行為も、不正競争防止法の営業秘密侵害行為に該当しない。営業秘密の使用は、通常、侵害製品の製造過程であり、侵害製品の製造が完了すると、営業秘密侵害結果が同時に発生したと考えられるため、侵害製品の販売地を営業秘密侵害結果の発生地とすることは妥当ではない。」と述べた。
以上